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1.ノーモア・ミナマタ第2次訴訟の原告たち

 私たちが現在たたかっているノーモア・ミナマタ第2次訴訟において,実際に法廷で訴えた水俣病被害者の声をお聞きください。 

(1)飯尾正二(昭和33年,鹿児島県出水郡東町(当時)生まれ)

 足の震えやこむら返りを抑えるために足を縛って寝ました。手先の震えでパソコンを使えず,仕事を続けられなくなりました。

(2)濱崎フクエ(昭和12年,熊本県天草郡姫戸町(当時)生まれ)

 手のしびれ,物を落とす,つまずき転ぶ,指がつる,耳鳴り,めまい…ずっと悩んできた症状が水俣病のせいだと知ったのは2年前でした。

(3)赤嵜澄男(昭和24年,鹿児島県出水郡長島町(当時)生まれ)

 手足のしびれやふらつきで、誇りだった大工の仕事を辞めました。

(4)金子一則(昭和17年,熊本県天草郡新和町(当時)生まれ)

 父を早くに亡くした私は小学5年から網元の乗り子として働きました。救済された近所の別の網元の乗り子と何が違うのでしょうか。

(5)大石強(昭和9年,熊本県天草郡姫戸町(当時)生まれ)

 私の住む姫戸町と隣町の龍ヶ岳町は何が違うのでしょうか。

(6)永山巌(昭和7年生まれ,昭和28年頃~昭和43年頃鹿児島県大口市(当時)在住)

 大口市というだけで,なぜ救済されないのですか。

(7)濱崎晴男(昭和22年,熊本県天草郡宮田村(当時)生まれ)

 手のしびれのせいで,いつも落ちこぼれでした。

(8)大田浩(昭和33年,熊本県牛深市深海町(当時)生まれ)

 みかん農家なのに,みかんの味が分かりません。

(9)村上文枝(昭和5年生まれ,昭和24年~鹿児島県大口市(当時)在住)

 何も知らずに水俣の汚染された魚を売り続けました。

2.ノーモア・ミナマタ訴訟の原告たち

 すでに勝利和解によって救済を受けた水俣病被害者の方ですが,ノーモア・ミナマタ訴訟において,実際に法廷で訴えた内容です。

(1) 大石利生(原告団長,昭和15年,熊本県葦北郡水俣町八の窪(当時)生まれ)

 ガラスの破片が足を突き抜けても全く痛みを感じませんでした。

(2)野口政造(昭和5年,熊本県天草郡樋島村(当時)生まれ)

 水俣病に苦しむ島の人の苦しみに気づけないまま,「水俣病隠し」に加担してしまいました。

水俣病不知火患者会