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2016年ミナマタ現地調査

  • 2016.08.28
    「ミナマタ現地調査」が開催されました!!

    第1 はじめに
     平成28年8月27日(土)から28日(日)の2日間にわたり、熊本、鹿児島両県で、「ミナマタ現地調査」が開催され、2日間で延べ約500人が参加しました。「ミナマタ現地調査」は、水俣病被害の実態を知り、すべての水俣病被害者の救済を求める世論を広げるために、昭和53年(1978年)から実施されています。

    第2 分科会
    1 今年は5会場で実施
     今年の現地調査では、水俣会場、芦北会場、ほっとはうす、出水会場、伊佐会場という5つの会場を設け、それぞれで異なる企画を行いました。5会場で分科会を行うのは、初めての試みでした。
    2 ほっとはうす
    (1)はじめに
     ほっとはうすでの分科会では、「ほっとはうす」の施設長である加藤タケ子さんや胎児性水俣病患者の方々から、当時の写真を見せていただきながらお話を伺い、最後に押し花のしおりを作りました。
     「ほっとはうす」は、胎児性水俣病あるいは小児性水俣病患者の働きたいという思いを実現するために、平成10年に開設されました。
     お話をいただいた方の中から金子雄二さんと松永幸一郎さんのお話をご紹介させていただきます。
    (2)金子さん
     金子さんは、水俣病の影響により、話そうとする言葉が頭で分かっていても上手く口にできないそうです。それにもかかわらず、一生懸命、私たち参加者に思いを伝えようとする姿がとても印象に残りました。私たちに伝えるために「1語ずつ話すなど工夫をされている」ことも話されていました。
     また、金子さんのお父さんは、金子さんがお生まれになる数か月前に劇症型水俣病で20代の若さで亡くなられたそうです。金子さんは、去年還暦を迎えられ、「お父さんの分まで長く生きたい。90歳まで生きたおばあちゃんの歳まで生きたい。」と仰っていたことに心を打たれました。
    (3)松永さん
     松永さんは、水俣病の原因がチッソの排水であることが明らかになった4年後の1963年にお生まれになりました。松永さんは、「水俣病の原因が明らかになった時にチッソが排水を止めていれば、自分が水俣病になることはなかった。自分が水俣病になったことが悔しい。」と仰っていました。
     また、松永さんは、他の胎児性水俣病患者の方と比べると症状は軽く、以前はマウンテンバイクに乗って「ほっとはうす」に通っていたそうです。しかし、2010年頃から歩けなくなり、現在は車いすで生活をしておられます。松永さんは、「まさか自分が歩けなくなるとは思わなかった。歩けなくなったことは悔しい。」と仰っていました。
     他方で、松永さんが「水俣病を抱えて生きていくことは辛いが、自分が水俣病患者だから人との出会いがたくさんある。」とも語っておられたのが非常に印象に残りました。趣味の将棋に積極的に取り組んでおられ、3段の腕前であることや各地に旅行に行かれ、安保法反対の集会に参加するために東京に行かれたこともお話しいただけました。精力的に活動されていることをお聞きし、驚きました。



    第3 懇親会(バーベキュー大会)
     分科会の後、参加者が一同に介して、懇親会(バーベキュー大会)をしました。参加者たちは、肉だけではなく、地元漁師が獲ったアジ、イカ、タコなどの海産物も食べながら、親睦を深めていました。地元の海産物を食べられるのも現地調査の醍醐味の一つです。

    第4 全体会
    1 上村好男氏
     まず、上村好男さんのお話を聞きました。上村さんの娘さん(長女)が胎児性水俣病の患者であり、上村さんは、水俣病患者の家族として、水俣病第一次訴訟をたたかってこられました。ご講演では、娘さんのお写真を示しながら、当時の娘さんの様子や妹さん(次女)が水俣病のお姉さんの世話をし、家事の手伝いをしていたことなどを語っていただきました
    2 馬奈木昭雄弁護士
     馬奈木昭雄弁護士は、昭和45年(1970年)から昭和49年(1974年)まで水俣に法律事務所を開設され、専従として水俣病第一次訴訟に関わってこられました。
     まず、馬奈木弁護士は、国、県、チッソも水俣病の解決を望んでいるが、私たち被害者と考えている解決の方法が違うと仰っていました。すなわち、被害者は、「水俣病の原因や被害を明らかにして、最後の1人まで被害者を救済すること」が解決であると考えているのに対し、国、県、チッソは、「被害者を黙らせて、従来通りの政策、操業、利益を得続けること」が解決であると考えている。そのために、国、県、チッソは、原因や被害の全貌を徹底的に隠すというものです。
     馬奈木弁護士は、予防接種、じん肺、アスベスト、諫早干拓における国の姿勢も水俣病訴訟と全く同じで、特に原発事故後の対応は水俣病と同じ道を歩んでいると語られました。
     また、馬奈木弁護士は、司法判断と行政判断は違うから従う必要はないとして、判決を取っても国が判決に従って救済するのは幻想であると、法廷での活動だけでは不十分であることも述べられました。
     水俣病第一次訴訟から国や大企業を相手にたたかってこられた馬奈木弁護士は、ノーモアミナマタ第二次訴訟をたたかっていく私たちに、被害者の目指す解決へと導く難しさや裁判闘争だけでは不十分であることを教えてくれました。



    3 藤野糺医師
     藤野医師は、パワーポイントを用いて、特措法上の対象地域以外の不知火海沿岸地域にも水俣病の症状を有する人がいることを、検診の診断結果等を踏まえて報告されました。
    4 園田昭人弁護士
     最後に、園田昭人弁護団長から、裁判の現状の報告がありました。裁判では、総論部分の主張が終わり、各論部分、すなわち原告一人ひとりが水俣病の症状を抱えていることやメチル水銀に汚染された魚介類を食べたこと(曝露があったこと)についての主張立証に移ってきており、最大の山場をむかえています。また、園田弁護団長から、第1陣の原告のみが先行して判決を得る可能性があることも報告されました。



水俣病不知火患者会